松本山雅

松本山雅J1開幕 クラブ結成50年 悲願の大舞台で勝ち点1を獲得!

3月7日、豊田スタジアムで行われた名古屋グランパスvs松本山雅FCのJ1開幕戦。

結果は、3-3の引き分け。

山雅にとって歴史的な勝ち点1を獲得しました。

数日前の出来事ですが、今でもあのスタジアムの雰囲気が忘れられない。

今回は、今年一発目の観戦記です。

Twitterも盛り上がる

東京から豊田スタジアムに向かう新幹線の中で、山雅専用のTwitterを見ていました。

キーワード検索「松本山雅」で検索してみると、山雅サポーターの写真がツイートされていました。

朝9時の段階で豊田スタジアムには、緑の集団が大勢集まっている!!

興奮に任せて怒涛のリツイートをさせていただきました。

「#山雅遠征情報提供」ハッシュタグも出現し、リアルタイムな情報も共有されていました。

当ブログでも、豊田スタジアム周辺の駐車場について書いた記事のアクセス数が伸びました。

少しはお役に立てたのか、と思います。

豊田スタジアムの雰囲気は最高

当日の天気は、曇り時々の雨の予報でとても寒いんでけど、サポーターは熱かった。

ちょうど、決起集会をやっている最中に到着しましたが、すでに応援のエンジンはかかっていました。

写真で見てもわかるように、豊田スタジアムが緑に染まっています。

キックオフ前には、信濃の国も歌っちゃいました。

老若男女が集まったスタンドは、改めて山雅は「おらがチーム」なんだと感じました。

勝ち点1は獲得したが・・・

結果は、ご存知のとおり。

3-3の引き分け。

先制し、逆転し、追加点も入れたのに勝てなかったことは、正直もったいないと思いました。

闘莉王さんが前線に上がってからは、なかなかセカンドボールが前線で収まらず、厳しい戦い方になってしまっていた。

2点差あってもJ1で勝つことは難しいと痛感しました。

名古屋戦の後に感じたこと

試合直後から、各放送局のスポーツニュースで山雅の試合が取り上げられました。

とくに応援に関して、かなり大きく扱われたことに少し驚いています。

2ステージ制にもなり、これでJリーグが盛り上がる、また日本サッカーが盛り上がる的な見出しもありましたが。。。。

それってどうなの?

ここからは、個人的な意見です。

チームを応援する動機はいろいろあると思います。

私の場合は、サッカーが好きで、たまたま地元のチームがあるから応援する。

多くの山雅のサポーターの場合、今まで何も無かったところに、自分たちの街の象徴になるようなチームが誕生した。

だから、応援する。っていう人が多いような気がします。

それがサッカーであろうと、野球であろうと、バスケットボールであろうと、種目は関係ない。

街の人が一緒に応援できる対象が「松本山雅」だった。

山雅のサポーターの中には、「松本山雅」が好きになって、サッカーを見るようになった人もいると思います。

そんな人がたくさん集まるスタンドだから、独特な雰囲気で選手を後押しできる。

それは、うちにしか出来ない強みだと思います。

他のチームのサポーターも同じだと思います。自分たちのチームだから応援する。

ただ、それが日本サッカーを盛り上げるか、というとまた違う話だと思っています。

山雅のサポーターが、U−22の試合に注目しているのか?

もうすぐ決まる日本代表監督の話題を気にしているのか?

松本山雅だから応援するのであって、日本サッカーに興味を持っているわけではないと個人的には思います。

ダラダラと思ったことを書きましたが、

サッカー協会の偉い人たちにはそこら辺をもっと考えてほしい。

また、自分も含めたサポーターも、山雅の試合だけでなく、海外や代表の試合も見て、サッカーの目を肥やさなければいけない。

サッカーの目が肥えてくると、チームに対しての応援の仕方も変わってくる。

そのことで、もっと高い頂が見えてくると思っています。

名古屋戦を見て、改めてスタートだと感じました。

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